6月3日(土)公開「花戦さ」


信長や秀吉の時代に生きた、初代池坊専好を主人公に〝前田邸の大砂物〟のことをはじめ事実を集めて編まれたフィクション「花いくさ」。原作者の鬼塚忠さんは鹿児島市出身の方。専好を演じるのは野村萬斎さんでその他のキャストもスゴイ。興味と親しみのわくポイントたくさん♪
いよいよ公開が迫ってきました映画「花戦さ」。今日は試写会へ行ってきました。おもしろく命ある花美しく…たくさんの方に観ていただけるとうれしいと思います。

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原作者の鬼塚忠さんは、鹿児島市ご出身の方です。これほどすごい小説を書かれる方が鹿児島の方というのはとても嬉しいです!

心震える最後でした。

いけばなの稽古で、手直しをしてくださる先生の手を見ます。習い始めた頃に先生にそうしなさいと言われたのです。
京都へ通い始めた頃、ある先生のかきつばたの一種生の稽古のなかで強烈に心に残っている言葉があります。
「手直しをしている先生もその先生の手を見て、先生の先生もその先生の手を見ていた」先生の手の先にずーっと、その先生の先生の先生の先生の…ずーっと手がつながっている。
いけばなは手で伝わってきたもの。

いけばなが始まった頃までずーっとさかのぼっていくのを、手がずーっとさかのぼって続いていくのをそのとき目の前に見たように感じて感動を覚えました。「花いくさ」の時代にも自分がつながっている…今まで実体ない人物だったのが、その時代の生きた人物として感じられた小説でした。

この“手のお話”をされたのは菊田圓順先生、山形のお寺のご住職もされている先生でした。そして、このとき菊田先生のもう一つの言葉とそのときの景色が心に深く残っています。
燕子花の一種生は、昔の昔の人が来る日も来る日も一日中ずっと燕子花を眺めて(たくさん時間があった!)、燕子花の性情を見きわめて最も美しいかたちを見出したのだろうと。燕子花が植わっている生えているところを見たことがあるか?とも問いかけられたように記憶しています。
全員の手直しが終わるまで花を片づけずに待っていなさいと言われて、お手直しが終わったところで、みんな教室の後方へ集められました。部屋中に燕子花の一種生が並んでいます。
燕子花の群生はこんな感じだろう見てごらんとおっしゃって、みんなでそこかしこに立つ花たちを眺めました。
息をのむような思いでした。本当にそこに水辺があるように感じました。

燕子花や花菖蒲等の一種生での特殊な葉組み、水仙の一種生などをやってみたことのある方はきっと、一旦はずしてまた組みなおすのを「なんでこんなことするんだろう」「こんなの誰が決めたんだ!」と思われるはずです。細かなルールもあって、お稽古だと少ない本数の中から適したものがなかなか見つからずに苦労するし、一年に1回取り組むことができればよい方でルールもなかなか覚えない。

でも、はるか昔の先人が長い長い時間をかけて花を見つめて、その美しさのかたちを見出したものがずっと伝わって、それをいま生けていると思うと少し感じ方が変わってくるように思います。
現代はいろんなことが、必ずしも直接教わらなくてもできるようになります。マニュアル本やインターネットの動画などがあれば、先生の手を見なくてもわかるようになるかもしれません。しかし、手で伝わってきたものを自分の手で習い自分のものにできたとき、はるか昔の人とつながる実感なんてなかなか得られないと思います。私にとって、いけばなの面白いところの一つです。